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新潟地方裁判所長岡支部 昭和53年(ワ)235号 判決

原告 佐藤勝司

右訴訟代理人弁護士 今井誠

同 宮本裕将

同 和田光弘

被告 日本専売公社

右代表者総裁 長岡實

右指定代理人 小田泰機

〈ほか一三名〉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  求める判決

(一)  原告

1  原告が被告長岡工場(以下、長岡工場と略称)の職員であることを確認する。

2  被告は原告に対し金六九三万一、〇〇〇円および昭和五八年五月一日以降毎月二一日限り金一一万九、五〇〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言(但し第二項に限る。)

(二)  被告

1  主文第一、第二項と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

二  主張

(一)  原告

「請求原因」

1  原告は昭和四九年三月、明治大学工学部機械学科を卒業し、同年四月一日、準職員として被告に雇用され、被告徳島工場勤務を命ぜられたが、同年六月一日、社員(技術員)に採用され、昭和五〇年三月三〇日、長岡工場勤務を命ぜられた。

2  昭和五三年七月における原告の給与(基本給)は月額一一万九、五〇〇円である。

3  被告は昭和五三年七月二〇日付で原告を懲戒免職したと主張しているので、原告が長岡工場の職員であることの確認を求めるとともに、原告は被告に対し、昭和五三年七月以降昭和五八年四月までの五八か月間の給与総額六九三万一、〇〇〇円および昭和五八年五月以降毎月二一日限り一一万九、五〇〇円の給与を支払うよう請求する。

(二)  被告

「請求原因に対する認否」

その1、2は認める。

「抗弁」

1  被告(関東支社長)は昭和五三年七月一日、原告に対し、被告友部工場(以下、友部工場と略称)勤務を命じたが(以下、この命令を本件転勤命令と略称)、原告はこれに従わずに転勤を拒否し、長岡工場における勤務を継続しようとした。

2  そして原告は同年同月一二日から同年同月一九日までの間(但し一六日を除く。)、無断欠勤をなし、同年同月一二日、一三日、一七日、一八日、一九日、長岡工場長の発した退去命令を無視して長岡工場から退去せず、同年同月四日から同年同月一九日までの間(但し九日、一五日、一六日を除く。)、長岡工場原料加工課前廊下で坐りこみをなした。

3  そこで被告(友部工場長)は同年同月二〇日、日本専売公社法二四条一項、日本専売公社職員就業規則(以下、就業規則と略称)七二条三号、九号に基づき、原告を懲戒免職する旨の処分(以下、本件免職処分と略称)をなした。

(三)  原告

「抗弁に対する認否」

その1は認める。2は否認する。3は認める。

「再抗弁」

1の1 被告における懲戒権者は総裁であるが(公社法二四条一項)、本件免職処分は友部工場長がなしたものである。

1の2 従って本件免職処分は無効である。

2の1 被告における懲戒は職員懲戒委員会の審議を経なければならない(日本専売公社職員懲戒委員会規程一条、二条)。

2の2 しかし本件免職処分は懲戒委員会の審議を経ずになされたのであるから、無効である。

3の1 即時解雇(本件懲戒免職処分もこれに含まれる。)については、労働基準監督署長の認定を受けなければならない(労働基準法二〇条三項、一九条二項)。

3の2 しかし本件免職処分は右認定を受けていないから、無効である。

4の1 原告と被告との労働契約においては、その意思に反して遠隔地に転勤されないことが約されている。

4の2 また被告と全専売労働組合との間において昭和四六年一二月二三日、支部局区外転勤に関しては、本人の希望を優先考慮する旨が確認されている。

4の3 従って原告の希望を考慮せず、その意思に反して発令された本件転勤命令は無効であるから、それを拒否したことに基づく本件免職処分は無効である。

5の1 原告は被告に採用された後間もなく全専売労働組合の組合員となり、昭和五二年一〇月、同組合高崎地方部長岡支部(以下、長岡支部と略称)の青年部副部長に就任した。

5の2 原告は長岡支部において重要な地位にあり、また最も活発な組合運動家でもあったため、被告は原告を嫌悪し、かつ長岡支部の活動力の低下をねがって本件転勤命令を発令した。

5の3 従って右転勤命令は不当労働行為(労働組合法七条一号、三号)に当り、無効であるから、これを拒否したことに基づく本件免職処分は無効である。

6の1 原告を友部工場に転勤させなければならない理由は極めて薄弱であるが、友部工場への転勤により原告の労働条件は悪化するばかりか、原告の組合活動も制約を受けて不利であり、また知人、親戚もいない遠隔地への転勤であるために受ける原告の心理的苦痛も小さいものではない。

6の2 これらの事情に照らせば、本件転勤命令を拒否したことで原告を懲戒免職するのは極めて苛酷な処分であり、本件免職処分は懲戒権の濫用に当り、無効である。

(四)  被告

「再抗弁に対する認否」

その1の1は認めるが、1の2は争う。

その2の1は認めるが、2の2は争う。

その3の1は認めるが、3の2は争う。

その4の1は否認する。4の2は認める。但し本人の適性、業務上の必要性等を総合勘案することが確認されている。4の3は争う。

その5の1は認めるが、5の2は否認し、5の3は争う。

その6の1は否認し、6の2は争う。

「再抗弁1ないし3に対する再々抗弁」

1  被告の支部局長(友部工場長もこれに当る。)は日本専売公社事務処理規程(以下、事務処理規程と略称)一五条一項二号に規定するいわゆる幹部職員以外の一般職員(原告はこれに当る。)に対する懲戒を総裁より委任されている(事務処理規程一七条一項四号)。

2  本件免職処分は昭和五三年七月一九日付職員懲戒委員会の審理および決議を経てなされたものである。

3  友部工場長は昭和五三年七月二〇日、原告に対し解雇手当一三万一、四九〇円を提供したが、受領を拒絶されたので、同年同月二一日、これを水戸地方法務局に供託した。

(五)  原告

「再々抗弁に対する認否」

その1ないし3は否認する。

三  証拠《省略》

理由

一  請求原因1、2は当事者間に争いがない。

二  抗弁1は当事者間に争いがない。

三  《証拠省略》によると、原告の本件転勤命令拒否後、抗弁2の事実が存したことが認められる。

四  抗弁3は当事者間に争いがない。

五  再抗弁1の1は当事者間に争いがない。

六  しかし《証拠省略》によると、再々抗弁1が認められるから、再抗弁1の2の主張は失当であり、採用することができない。

七  再抗弁2の1は当事者間に争いがない。

八  しかし《証拠省略》によると、再々抗弁2が認められるから、再抗弁2の2の主張は失当であり、採用することができない。

九  即時解雇については、労働基準監督署長の認定を受けなければならないこと(再抗弁3の1)は原告主張のとおりである。

一〇  しかし《証拠省略》によると、再々抗弁3が認められるから、再抗弁3の2の主張は失当であり、採用することができない。

一一  再抗弁4の1を認めるに足りる証拠はなく、かえって《証拠省略》によると、

1  被告の就業規則(昭和二六年六月一日総裁達三号、昭和五一年五月一七日総裁達(職)一七号で一部改正)五〇条は、被告は業務上の都合により職員を転勤させることができる旨を規定している。

2  原告が受験した昭和四九年度地方採用大学卒職員募集要項には、採用後の勤務地は、原則としては、東京都、埼玉、千葉、神奈川、山梨、茨城、栃木、新潟、長野、群馬各県内であるが、その他全国の事業所に配属されることもある旨が記載されている。

3  昭和四八年七月二一日に行われた面接試験において、原告ら受験者に対し、試験委員から、採用後就業規則上、転勤がありうる旨の説明および転勤に支障があるかどうかの確認がなされたのに対し、支障がある旨を述べた受験者は一人も居なかった。

4  被告においては、原告のような技術員は、特に人材育成、技術交流の観点から、三年ないし五年の周期で転勤が行われるのが一般である

ことがそれぞれ認められ、右認定事実によれば、原告と被告との労働契約においては、原告主張のような約定(再抗弁4の1)は付せられていなかったと推認するのが相当である。

一二  再抗弁4の2は当事者間に争いがない。

しかし《証拠省略》によると

1  前記のように被告の就業規則五〇条は、業務上の都合により職員を転勤させることができる旨を規定しており、昭和三四年四月四日、被告と全専売労働組合間に成立した転勤の事前通知に関する労働協約一条は、組合に加入できない者以外の職員に対しては、転勤発令の七日前に文書でその旨を通知しなければならない旨を定めているが、職員の希望により転勤する場合は、事前通知は不要とされている(同条但書)。

2  昭和四〇年五月一日、被告と全専売労働組合間になされた了解事項は組合役員となっている職員の転勤に関しては組合へも事前通知をなすべきことを定め、昭和四六年一二月二三日、被告と全専売労働組合間になされた再抗弁4の2の確認事項(これは前記昭和三四年四月四日付労働協約の一部修正協約とみられる。)は、職員を支部局区域外に転勤させる場合(本件の場合もこれに当る。)につき、事前通知を一〇日前になすべきことを定めるほか、転勤は本人の希望を優先考慮するとともに、適正、業務上の必要度等を総合勘案して行なう旨を規定している

ことがそれぞれ認められ、右認定事実および被告のような大規模企業においては、業務運営上、一般職員の転勤は不可欠とされていること(このことは当裁判所に顕著な事実である。)よりすれば、被告と全専売労働組合間の労働協約においては、支部局区域外への転勤に関し本人の希望のみが考慮されねばならぬとまでは定められておらず、支部局区域外転勤に際しては、本人の希望が優先考慮される(最大に尊重される)が、業務上の必要がある場合には、本人の希望、意思に反する転勤も有効になしうることが、暗黙裡に承認されているとみるのが相当である。

従って、《証拠省略》によると、原告は本件転勤命令とか、転勤を希望しておらず、また本件転勤命令は原告の意思、希望に反するものであることが認められるが、そのことだけで本件転勤命令が無効であるとはいえない(本件転勤命令が業務上の必要に基づいて発せられたことは後記のとおりである。)。

従って再抗弁4の3の主張は失当であり、採用することができない。

一三  再抗弁5の1は当事者間に争いがない。

一四  再抗弁5の2を認めるに足りる証拠はない。

すなわち《証拠省略》によると、

1  長岡支部には、役員としては、支部長、副支部長、書記長各一名のほか、財政部、青年部など合計七部の部長がおかれ、青年部には支部執行委員である部長のほか、副部長、書記長各一名、常任委員三名がおかれていた。

2  青年部副部長は部長を補佐し、主として地域活動、渉外事務を担当していた。

3  長岡支部青年部は昭和五二年一二月から昭和五三年四月にかけて、壁新聞(三回)を発行したり、原発反対運動支援などを行ったりしたが、原告は昭和五二年一〇月、青年部副部長就任後、熱心に副部長としての仕事に従事していた

ことが認められる。

しかし他方、《証拠省略》によると、

(1)  昭和五三年六、七月当時、長岡支部と被告間には労働条件その他の問題に関する紛争、懸案事項は存しなかった。

(2)  被告は低ニコチンタールのいわゆる緩和刻煙草に対する需要にこたえるため、昭和五〇年九月茨城県友部原料工場を廃止して、新らたに友部たばこ工場(友部工場)を建設する計画をたてたが、新工場には一二〇名の技術員を必要としたため、昭和五一年一〇月一九日、関東支社区域内にある各支部局製造部長、次長会議で、友部工場への要員(技術員)派遣(転勤)要請がなされた。

その際、長岡工場に対して、機械系技術員二名(のちに一名追加される。)、電気系技術員一名の派遣が割当てられたため、長岡工場は幹部会を開いて、(イ) 友部工場での適合性、(ロ) 長岡工場での必要性、(ハ) 健康その他本人の事情の三点を考慮しつつ、原告、訴外金田真二など一五名の候補者につき選考を行った結果、当時工場技術課勤務で、長岡工場勤務後すでに約二年六か月を経過していた原告を含む四名(原告、訴外清水敏一、同三木僚一、同浜田幸作)を適任者と判断し(右四名を除く一一名の候補者には、長岡工場に不可欠、他工場に応援中、着任後日が浅いなどの転勤不適格事情が存した。)、同年一一月一〇日、機械系技術員としては原告と訴外清水敏一、電気系技術員としては訴外三木僚一を推せん(のちに技術員一名の追加割当があり、長岡工場における勤務年数が最も短かかったため、第一次推せんに洩れた訴外浜田幸作が追加推せんされた。)する旨の文書を関東支社に送り、同年一二月二日開催の製造部長、次長会議において、長岡工場から友部工場への右三名の転勤が内定した。

(3)  右派遣要員の検討においては(原告が長岡支部青年部副部長に就任する前のことであるから当然のことながら)、原告が組合員であることなどは考慮の対象外であった。

(4)  本件転勤命令については、当初は長岡支部も不当労働行為の疑いありとして検討がなされたが、長岡工場側の説明をきいた後、最終的には不当労働行為の線を捨て、支部長など組合幹部役員も、転勤命令を応諾するよう原告を説得するようになった。

ことがそれぞれ認められ、これら事実(特に原告が長岡支部青年部副部長就任前にその転勤が内定していた事実)からすると、前記認定の事実から本件転勤命令が原告主張のような不当労働行為に当るとはいえず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。

従って再抗弁5の3の主張は失当であり、採用することができない。

一五  《証拠省略》によると、

1  友部工場は二四時間操業のため、職員は一二時間勤務の後、二四時間休む、といういわゆる二直三交替制の勤務形態(この勤務形態は生活リズムを崩し易い。)をとっている。

2  原告の両親は岩手県東磐井郡川崎村に居住しており、原告は長岡工場から転出の希望をもたず、昭和五三年四月提出の身上調査票にも、転勤したくない旨を記載した。

3  本件転勤命令前、原告に非行歴はなく、勤務ぶりも真面目であった。

4  原告は本件転勤命令を拒否したが、あくまで長岡支部の支援を信じており、最終的には、何らかの妥協案に基づく解決がなされることを期待していた

ことが認められる。

しかし他方、《証拠省略》によると、

(1)  友部工場では、機械の停止、再開により生ずるクリーニングアップ、ウオーミングアップのための不能率稼働時間(約九時間)を解消するため、二直三交替制の勤務形態をとることとなったが(被告倉敷工場においても同様の勤務形態がとられている。)、このような勤務形態および友部工場におけるその他の労働条件については、被告と全専売労働組合との間に二〇回にわたる交渉が行われ、昭和五二年三月、協議が成立した(なお友部工場においては二号俸の加給が行われている。)。

(2)  昭和五一年一二月二日、前記のように原告の友部工場転勤が内定した後、これに備えて長岡工場は昭和五二年四月、原告を原料加工課に配置換し、高圧ガス取扱作業主任者講習を受講させ、同年六月から同年七月にかけて、被告中部支社において設備技術課研修を受けさせた。

(3)  原告と同じく、昭和五三年七月一日付で友部工場への転勤を命ぜられた技術員訴外清水敏一、同三木僚一、同浜田幸作はいずれもこれに応じて転勤をなし、昭和五三年一〇月、友部工場は完成し、昭和五四年一月より本格的操業を開始した。

(4)  昭和五三年六月二〇日、前記協約に基づき、本件転勤命令につき原告および長岡支部に事前通知がなされたが、原告は不当労働行為であるとして、これを拒否する旨の意思を表明したので、同日以降同月二三日までの間、長岡工場は長岡支部に対し、事情説明を行い、その了解をえた。

同年六月三〇日、(翌七月一日が土曜日休日であったため)本件転勤命令が原告に告知されたが、原告は辞令書の受領を拒絶したので、長岡工場の工場長および製造部長などは転勤に応ずるよう原告を説得し、同年七月二日から同年同月一九日までの間、殆んど毎日、一日二回にわたって、長岡工場の事務部長、製造部長などの幹部職員、友部工場の幹部職員および長岡支部の支部長などの組合役員が転勤に応ずるよう原告を説得し、また転勤に応じなければ懲戒処分がなされることを注意、警告したが、原告はこれに耳をかさず、すべて黙殺する態度をとり、抗弁2のような行動をとり、前記認定の、最終的には妥協したい、との気持を外部に示すことはなかった。

(5)  昭和五三年六、七月当時、原告は健康な独身者であり、友部工場への転勤を拒否するに足りる個人的理由を有しなかった。

ことがそれぞれ認められ、右(1)ないし(5)の認定事実に前記認定の抗弁1、2の非違事実、本理由一一で認定の1ないし4の事実、本理由一二で認定の1、2の事実、本理由一四で認定の(2)、(4)の事実をあわせ考えると、前記認定の1ないし4の事実から本件免職処分が社会通念上許し難い程、苛酷な処分(そのような場合は、本件免職処分は懲戒権の濫用に当り、無効となる。)であったとみることはできず、ほかに本件免職処分が懲戒権の濫用に当ることを裏付ける事実を認めるに足りる証拠はない。

従って再抗弁6の2の主張は失当であり、採用することができない。

一六  そうすると原告の本訴請求は理由がないことになるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 上杉晴一郎)

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